カタヤマの紹介

カタヤマの紹介

有限会社 片山商店(レストランカタヤマ)

代表取締役社長 片山幸治(平成22年11月1日就任)
代表取締役会長 片山幸弘
住所 〒131-0032 東京都墨田区東向島4-2-6
電話 03-3610-1500

レストランカタヤマ東向島本店 営業時間 (年中無休)

ランチ
 11:00~14:30(LO)
 15:10 閉店

 ディナー
 16:30~20:30(LO)
 21:20 閉店

※コロナの影響で営業時間が変更する可能性がございます。

写真:レストランカタヤマ外観
イラスト:外観

当店のイメージイラスト

カタヤマの歴史

画像:カタヤマの歴史

プロフィール

先代代表取締役会長 片山幸弘

1936年
1月8日生
1945年
茨城県真壁に集団疎開
愛知県豊田市に縁故疎開・戦争最中の銃後国民生活の辛酸さを嘗め尽くす戦争への憎しみはその後の一生の精神的な基調.いかなる理由を持ち出そうとも2国間問題へ武力を行使することはあってはならない。結局つけは一般市民に回ってくるだけである。
1948年
区立梅若小学校
1951年
明治中学
1954年
明治高校
1958年
明治大学商学部商科卒(吉川英治・ソクラテス・トルストイ・ロマンローランに耽った哲学青年として過ごす)
1958年
有限会社片山商店に入社。出前持を日課とす
1963年
コタン一号店出店1968年までに13店開店。
1971年
思うことあり多店舗経営撤退す
1972年
お肉の美味しい下町の洋食や開店

今日に至る



※経営分析・会計・商品管理・戦略シミュレイション・POP・Menu他に利用

1972年カシオのプログラム電卓からコンピュータに魅せられ1979年pc8001を導入後ほぼ3年ごとの新製品発表に付き合うことになるそんなアホ・bakaなところが駄敏丁の所以

  • 独自のカットを発見1998年特許第2808253号
  • テレビ(1990ヨリ)・新聞(1988ヨリ)・雑誌(1988ヨリ)と取材がされるようになる
  • 著名人・スポーツ選手・芸能人と幅広い来店客
  • ※店内・待合室に所狭しと色紙や写真がたくさん
  • 第12回優良企業特別功労賞(販売サービス)受賞1999年

新聞記事:片山幸弘に関する記事
写真:北野 大さん

北野 大さん
「元勤務地がお近くでした」

駄敏丁カットとは

「らんいち」ステーキ 製造方法で特許取得 東向島の洋食店主、片山幸弘さん

掲載日:1998/09/16  媒体:産経新聞 東京朝刊 ページ:20  文字数:1046

墨田区東向島の洋食店「カタヤマ」のご主人、片山幸弘さん(六二)がこのほど、牛のモモ肉の一部である「らんいち」を使ったビーフステーキの製造方法で特許を取得した。この部分はロースなどに比べて格安だが、筋が多いのが難点だった。特許取得の際の代理人である杉山泰三弁理士は、「肉の加工という面で特許を取るのは大変難しいことだし、肉の利用価値を高めたということで画期的」と話している。

片山さんによると、「らんいち」はしっぽ以外は重いものを支えておらず、加えて生物にとって頭の次に大切な生殖器が近くにあることから栄養が行き渡っており、味は良いという。
しかし、ロース部分に比べると、複雑な運動をする部分のために筋が入り乱れて硬いという欠点がある。
今回の特許は、その問題点を解決する方法に与えられた。具体的には肉の塊から筋を完全に除去してから、さらに筋目にそって棒状に切断。その上でこれをある程度の厚みに輪切りにした後並べて整形し、ステーキ肉にするもの。

この筋を取り除く方法の確立が問題だった。「らんいち」は丸い形の塊になっているために、どこに包丁を入れてよいのか分からず、技術の完成のための試行錯誤はおよそ五年に及んだ。
特許申請は平成七年。それ以前に技術的問題はクリアしていたが、まねをされると困るので申請に踏み切ったという。今年七月三十一日に取得した。

「以前、お客さんに筋を処理しないままで出していたら、『これうまくないから食ってみろ』といわれた。確かにそうだった。それまでのランプステーキは枝豆を皮ごと食べていたようなもの」と笑顔を見せた。片山さんが調理が面倒な「らんいち」に手をだしたのは偶然の積み重ねだった。約二十年前にそれまで経営していた十二軒のラーメン店を閉め、現在の洋食店一軒だけにした。しかし、店の特徴が出せず、暇を持て余すことに。

そこでたまたま、港区で安価で肉店向けの卸売りをしていることを知り、中間マージンを省くために早速参加。狙い通り、安い肉は手に入れたが、量も卸売り用だったために“実験用”としても活用することとなった。さらに、その肉が筋目が見やすいオージービーフだったことも、技術開発に貢献したという。

特許を取得したビーフステーキは、自らのペンネームでもある「駄敏丁」(だびんちょ)の名をそのまま使い、店のメニューに加えている。
片山さんは「当時は本当に暇だったが、今思うとやっぱり、暇とハングリー精神が必要なことだった」と苦労を振り返っている。